資本家と一般生活者との間の格差

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 フランスの少壮経済学者ピケティ氏による大部の著作が評判を呼んでいる。 まだ読んでいないので、いい加減なことは書けないが、こんなことらしい。

 この200年ほどの世界経済の発展をみるに、資本あるいは資産の増殖スピードの方が成長率よりも高い。 それが故に、より多くの富を所有する人々が一部に偏り、大多数の人々との間に経済的な格差が生じている。

 経済格差は子弟の教育にまで及んでいくから、より高い教育機会を得られる人々が属する階層はますます有利となる。 そうでない人達との間で、どんどん格差が広がっていくというわけだ。

 これは資本主義経済の特性でもあるが、限界でもある。 勤勉と努力と克己心でもって自由競争を勝ち抜き、いくらでも富を殖やすことはできる。 しかし、そういった経済的強者の横で、大多数は経済的弱者の道を強いられることになる。

 そんな中、富の再分配は経済成長によるパイの拡大が、社会の末端にまで行き渡るを待つしかない。 富の再分配が国民の間に浸透していくスピ-ドよりも、資本の増殖の方が早いところに、さらなる格差拡大の構造的な問題がある。 ピケティ氏の指摘はそういったところだろうか。 間違えていたら、ごめんなさい。

 さてさて、上のような指摘というか世界の現実に対して、われわれ長期投資家は一歩先を行っている。 第1に、われわれの提唱する長期投資は、一般生活者が自分も頑張って働くが、お金にも働いてもらうことで経済的自立を高めようとする。

 いわば、自分の働きが右足であって、お金にも働いてもらう左足との二人三脚で、堂々と生きていこうとよいうことだ。 お金にも働いてもらうということは、皆がプチ資本家になるということだ。

 第2に、生活者にとって大事な企業を応援しようよという長期投資は、ひたすらマネーを追いかけてはマネーの増殖がすべてとするマネー資本主義とは違う。

 われわれ長期投資家は、社会的な富の増殖につながるお金のまわし方にこだわるが故に、より多くの人々がより豊かになっていく方向で、お金に働いてもらうことになる。 はじめから終わりまで、富の社会的分配に資する方向付けができているのだ。

 第3に、長期投資でファイナンシャルインデペンデンス(経済的自立)を目指すが、その先ではどんどん殖えていく資産をカッコ好く世の中につかおうよというステージが待っている。

 長期投資で経済の現場にお金をまわしてやり、カッコ好くお金を社会にまわそうよのステージで、もう一度お金をつかう。 どちらも、富の再分配を意識的意欲的に展開しているわけで、資本主義的な富の収奪とは根本的に違う。

 そして第4に、カッコ好くお金をつかうステージでは、自分の贅沢を超えて文化・芸術・教育・スポーツ・技術・ボランティア・ NPO といった方向へお金がまわっていくようになる。

その方向でお金がまわりだすと、すそ野の広い雇用の創出となっていく。 これも、富の再分配である。

 どうだろう、これだけまとめてやってしまえば、資本主義の限界とかはどこかへ消えて行ってしまうはず。 それどころか、いくらでも豊かでしっとりとした社会を築いていける。