預金に集まりすぎるのが問題

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 昨夜の BS フジでの生放送中、こんな質問があった。 日本でもっと投資を本格化していかなければならないのは分かったが、個人のレベルではなかなか情報も経験も及ばないので、代わって銀行が投資をもっと積極化すべきではないか?

 この質問に対し、即座にその考え方は間違っていると応えたが、時間の関係でゆっくり説明できなかった。 そこで、今日はその辺りを考えてみよう。

 銀行は多くの人々から大事な虎の子を預かっている。 その預金を運用するにあたっては、安全性を最優先しなければならない。 その結果、企業融資も大企業を主体にし、中小企業への融資は慎重な姿勢を崩さない。 あるいは、最も安全と信じられている国債に投資する。

 それが銀行経営の基本だから、質問のような投資には預金を向かわせられないのだ。 もっとも、90年代までのように国や大蔵省が ”銀行は一行たりとも潰させない” という政策を堅持していた間は、日本の銀行はリスクのある投資を躊躇しなかった。 その典型例が、企業との株式持ち合いだった。

 しかし、いまや銀行といえども民間ビジネスのひとつ。 経営に失敗しても、かつてのような国の庇護はない。 また、経営の安全性をはかる自己資本比率規制はどんどん厳しくなっている。 したがって、預金を投資にまわすなどできない相談である。 せいぜい国債を購入するぐらいまでだ。

 もともと銀行預金はリスクを取れない資金である。 もし投資にまわすとすれば、銀行ではなくて預金を預けている個人が、自分の資金を自分の判断でリスクを取ることになる。

 実は、これが日本のような成熟経済では当たり前の姿なのだ。 もう、高度成長期のような経済の右肩上がり拡大はないが、一方で民間に資本の蓄積は進んでいる。 したがって、成熟経済では民間の消費や投資を高めることで、経済活動を活発化させることが必須となってくる。

 そこでの主役は、もともとのお金の出し手である個人一人ひとりとなる。 すべてのお金を預貯金に預けっぱなしにするのではなく、一部を自分の意思で投資にまわすのだ。

 これをリスク資金の供給というが、個人マネーが投資を積極化させるのと同義語である。 それが、成熟経済の発展拡大には不可欠の機能を果たすことになる。

 もう、お判りでしょう。 日本は預貯金にお金が集まりすぎている。 その横で、個人の投資が少なすぎるという極めていびつな経済なのだ。 そのいびつさを、なんとしてでもまともな姿にしたいというのが、われわれの主張である。

 なに、難しいことはない。 いつもいっているように、企業の応援投資をしていく長期投資が最高のリスク資金の供給である。 さらには、皆が売り逃げに走っている株価暴落時に断固たる応援買いを入れるのが、最強のリスクマネーの供給となる。 最強とは、世の中が一番喜んでくれることであり、その報酬も一番多いということだ。

 皆さん、どうぞよい週末を。